相談と、愚痴と

相談相手、います?
手元的に見回してみて、愚痴る相手って結構いる。愚痴れば「ほぇ〜、大変やねぇ。まぁ、飲め」みたいな仲間。なかま、という言い方が結構あたってるかな。俺の行動、考えを否定するんじゃなくて、認めてくれようというスタンス。でも、そういう人が周りにたくさんいるのって当たり前なんだよね。認めてもらえる場所であれば、居心地いいからさ。きっとだれもが、おのずとそういう仲間の中で、ほっくり暮らしてる。悪く言えば、「ぬるま湯」な環境。認めてもらえないなら、あんまりそういう人を仲間とは思わないだろうし、距離を置くようになる。

相談相手って、「認めてくれる人」じゃダメなんだと思う。なんでもかんでも認めてくれるだけじゃだめ。間違ってることは「アホボケカス!」って言ってくれないとだめ。でもこれって、なかなか言えないと思う。言い古された言葉になっちゃうけど、「信頼関係」ってのがあって、その上でないと「アホボケカス!」は言えない。
でも、その「アホボケカス!」の背景には「認める」ではなくて、「共感・理解」があるはず。
誰かが悩んでて、困ってて、どうしたらいいかわかんないってときに、「何でこいつが困ってるのか、テンパってるけど、こいつはホントはどうしたいのか」ってことがわからないと、アドバイスなんてできないっすよ。わからないで勝手に「あんた、それダメじゃん」って言ったて、それはタダのおせっかい。
じゃあ、俺はどうよ、となると、共感・理解してるつもりでも自信がなかったりする。だから、「俺はこう思う。でも自分で決めな」って。なかなか「アホボケカス!」って言えない。言っちゃって嫌われるのはヤダ、とか思ってるのかも。
本気で相手のことを考えるのなら、全面的に信じるしかないのかな。こいつは何を言っても、絶対に大丈夫、って信じて、「アホボケカス!」って言えないと、相談相手にはいつまでたってもなれないんじゃないかと思う。

もひとつ。愚痴も聞かない、相談も受けない、でも、暖かく見守って、待っててくれてるやつってのもいるんだ、って気づけたことが、今年一番の収穫だったかも。TNX